学習障害の理論
□ LD研究の歴史
□ LDの定義
□ 出現率


アメリカの定義
この時期の前半にいくつかの団体が、LDの再定義をおこなった。
Hallahanの歴史区分の第5期、LDの歴史を5期に分ける。
1)ヨーロッパでの基礎作りの時期 1800−1920
2)アメリカ合衆国での基礎作りの時期 1920−1960
3)草創期 1960−1975
4)確立期 1975−1985
5)激動期 1985−2000
Daniel P.Hallahan, Cicil D. Mercer:Learning Disabilities;Historical Perspective.

ACLD(LDA)1986年
ICLD1987年
NJCLD1988年

定義の内容

ACLD/LDA(1986)
「特異的学習障害は、言語的及び/又は非言語的能力の発達、統合、及び/又はその遂行を重度に妨げる神経学的始源が想定される慢性的状態である。特異的学習障害は、独特のハンディキャップの状態として存在し、その現象型と程度は様々に異なっている。生涯を通じてこの状態は自己評価、教育指導、職業、社会化、及び/又は日常生活に影響する」

特徴@LDが生涯にわたるという特性を強調した。A除外規定を含まない。B適応行動に言及した。

ICLD(1987)
連邦のさまざまな期間の代表から構成されるICLDは議会によっていくつかの問題について報告することを求められる。その定義は、2つの変更をのぞけば1981年のNJCLDのものと同じである。すなわち、ソーシャルスキルの障害をLDの一タイプとしてあげ、ADHDをLDとの併存があり得る状態として追加した。

「学習障害は、聞く、話す、読む、書く、推論する、又は計算する能力、又はソーシャルスキルの獲得と使用に著しい困難を示す様々な障害グループの総称である。この障害は、個人に内在的で中枢神経機能不全に由来すると考えられる。学習障害は、他の障害(例えば、感覚障害、精神発達遅滞、社会的・情緒的混乱)、また、社会的影響の下で(例えば、文化的差異、不十分で不適切な教育、精神病理的要因)、又は特に注意欠陥障害といっしょに生じることがある。それらのすべてが学習困難を引き起こす可能性があるが、学習障害はこれらの状態の直接の結果及び影響ではない」

NJCLDの修正定義(1988)
NJCLDの修正定義は、LDAが学習障害の生涯にわたる特性を強調したこと、及び学習障害のタイプとしてソーシャルスキルの障害を挙げたことに対応するものである。NJCLDは前者に同意し、後者には同意しなかった。

「学習障害は、聞く、話す、書く、推論する、又は数学的能力、又はソーシャルスキルの獲得と使用において著しい困難によって特徴づけられる障害の多様な集団を表す総称である。この障害は、個人に内在的なものであり、中枢神経系の機能不全に起因すると思われ、また障害の各時期に現れる可能性がある。自己制御行動、社会的知覚、及び社会的相互作用の問題は、学習障害に伴うことがあるが、しかし、それら自身が学習障害を構成するものではない。学習障害は他の障害の状態(例えば、感覚障害、精神発達遅滞、重度の情緒障害)、または外的影響(文化的差異、不十分であるか不適切な教育指導などのような)に伴って同時に生じることがあるが、それらは、こうした状態または影響の結果ではない」

IDEAの再定義(1997)
P.L.94−142から本質的に変化はない。
A.一般的定義−「特異的学習障害」という用語は、理解又は言語、会話及び書くことの使用を含む、一つあるいは複数の基礎的心理学的プロセスの障害を意味する。それらの障害は聞く、考える、話す、読む、書く、綴る、又は数学的計算を行う能力の不十分さとして現れる。
B.含まれる障害−この用語は、知覚障害、脳の外傷、微細脳機能不全、ディスレキシア、及び発達性失語症などの状態を含んでいる。
C.含まれない障害−この用語は、一義的に視覚障害、聴覚障害、運動障害、精神発達遅滞、情緒障害、又は環境的、文化的、経済的不利の結果である学習問題を含まない。

90年代から世紀の転換期に、学習障害と音韻意識との関係が強調されるようになり、2000年に開かれたナショナル・リーディング・パネルがその動向を決定づけた感がある。
それは、学習障害を読み障害中心に位置づけること、通常の子どもの読み発達と関連づけること、通常学級の読み指導との関連づけ、などの傾向を必然的にもたらすものであった。それは、イギリスのディスレクシア研究及び指導方をめぐる動向とも軌を一にする。したがって、イギリスのディスレクシア研究と同様の問題点を新たに抱え込むことになるかもしれない。

そういう中で、1994年にオールトン・ディスレクシア協会(現国際ディスレクシア協会)の研究委員会がNCLD,NICHDの代表者とともにディスレクシアの作業定義を行った。

「ディスレクシアは、いくつかの区別される学習障害の一つである。それは、通常は不十分な音韻処理能力を反映している単一単語符号化の困難によって特徴づけられる生来的な起源の特異的言語障害(a specific language-based disorders」である。この単一単語符号化の困難は、しばしば、年齢及び他の認知的、教科的能力との関係で予期されないものである。それらは、全般的発達障害又は感覚障害の結果ではない。ディスレクシアは、言語の様々な形のいろいろな困難として現れるが、読み問題に加えて、しばしば書きや綴りの有能さの獲得に著しい問題を含んでいる)Lyon,1995



日本における特徴:LD定義についての諸議論

1,田中良三:LD児の学習権保障に関する諸問題―「特別支援教育」のはじまりのなかでー、障害者教育科学、2004.1,48,65-73

「学習困難」として大きくくくるべきとしている、しかし、相互の質的違いを明らかにしないで、むしろ「知的障害を含む軽度発達障害のこのような子どもたち」(p71)と、発達の遅れまで含んで「軽度発達障害」を位置づけようとしている。「軽度発達障害」と学習障害又は学習困難の関係も曖昧になってしまう。こうした見解は、学習障害概念の混乱に拍車をかけることになるのではないか、と思われる。

2,天野清:学習障害の問題解決は幼児期からー幼児に対するLD予防教育の試み−、雑誌教育、2004,6,710138-47

(1)  (文科省の定義は)LDは発達障害であるという観点が完全に欠落しており、それは定義にも、解説にも、指導の指針にもあらわれていない。この点は、アメリカのNJCLDの定義にも、共通しているが、その原因は、中枢神経系のなんらかの機能障害にあることを示唆するにとどまり、「聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力」の基礎となる心理諸機能の何らかの発達が、幼児期に正常に進行していないということすら説明していない。この観点の欠落によって、LDの原因をもっぱら子ども側の要因(中枢神経系の不全)に帰着させ、LDは、中枢神経系の機能不全によるため、それから回復することは無いという神話がつくり出され、発達障害の早期発見、早期教育の方向に目を向かわせなくする傾向をつくり出している。

(2)  LDは、最軽度の発達障害で、大人の指導を受け入れる学習能力は高く、適当な(なるべく早い)時期に特別指導を行えば、正規の授業を受けることが可能となり、正常の発達コースをたどらせる潜在的可能性が高いことについて、どこにもふれていない。・・・この定義の影響からか、LD児への支援教育は、LD児の能力の特質に見合った教育を行えばよいと考えている専門家や教師が意外と多い。

 対照的なのは、ロシアでの研究である。「心理発達遅滞児」(ZPR)、1967年より始まったZPR児の特殊学校や特殊学級での教育は、ZPRの状態から回復させ、普通の学校に戻すこと、正常に発達を遂げさせようとすることを目標にしている点、アメリカやわが国のLD教育の理念と根本的に異なっている。」

「各学習は、運動機能や注意、行動のコントロールに問題を抱えて幼児の場合、非常に困難で、最初は1回の練習で1文字のひらがな文字を書くのがせいぜいであった。しかし、指導が進むにつれて、幼児は、より、積極的にて(ママ)、興味を持って文字を書くことを学んだ」

@   5歳期に、LDになる高い危険性を持つ幼児を診断・検出することが理論的にも、実際的にも可能である。

A   その期から特別な指導を行うことによって、小学校でLDになることを予防する可能性を追求する道が開かれた。就学準備性ができたと判断した児童に就学後も継続した結果、2年間の指導で10命中6名がLD状態にならなかった。

読み書きの学習、とくに非常に複雑な随意的心理諸機能の統合を必要とする文字の書きの学習は、幼児の知覚、随意的運動、随意的注意、行動のコントロール、学習の集中性の発達を促進させることを示唆する資料が得られている。

注:天野清は、ロシアのZPRをモデルにLDを捉えているため、LDを「再軽度の発達障害」としている。しかし、前提とされているところのZPRが学習障害と同じであるかどうか(おそらく似て非なる概念である)、慎重かつ批判的な考察が求められる。